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〜本物の香りを現代に伝える〜

香りの国・フランスに渡った、日本人調香師

 

名古屋市中区栄3丁目、栄ガスビル1階。ここにその店はある。

ビルのエントランスから一歩、また一歩と店に向かって足を進めるにつれ、華やかな花束のような、上品なフローラル系の香りがふわりと鼻をかすめる。ほんの少し前にオートクチュールに身を包んだ、上流階級のマダムがここを通り過ぎたのではないか。そんなことを思わせる香りだ。

 

 「調香師の店モンパルファン」は、香水や香りを使った商品を販売する専門店だ。この店のオーナー、田代はなよさんは1970年代に香水の本場フランスで学んだ数少ない日本人調香師である。

 

 そもそも調香師とは、香りを調合する技術者のこと。日本では一般的に、香水など化粧品の香りを扱うパフューマーと、食品などのフレーバーを扱うフレーバリストの両方を指すが、香水の需要が少ない日本では、その多くがフレーバリストだ。こうした状況の中で、田代さんは香水のデザインを手がける数少ない日本人調香師として活躍を続けている。

 

 「世界的に見ても、日本人調香師はほとんどいないんじゃないかしら」と田代さんは言う。

 

 シャネル、クリスチャン・ディオール、カルバン・クライン、イッセイ・ミヤケなど、様々なブランドが発表する香水は全て調香師によって作られる。そして、著名な香水を手がけるのは、香水先進国出身のフランス人が多い。

 

 フランスには、「香水の都」と呼ばれる町グラースがある。この地では現在も特上の香水で使うラベンダー、ジャスミン、ミモザなどの香料植物を生産加工している。そして、こうした土地柄で代々、著名な調香師を多く排出しており、ヨーロッパの香料会社では調香師の7〜8割がフランス人と言われているほどだ。

 

 「ブランドが新作香水を作るときには、コンペがあるんです。新作のコンセプトを複数の香料会社に提示し、試作品を作らせ、その中からベストなものを長い時間かけてひとつだけ選び商品化します。実は、そのコンペに呼ばれる香料会社はパリやジュネーブの約30社に絞られているんです。残念ながら日本の香料会社にはお声がかかりません」

 フランスで香りの現場を見ていたからこその裏話だ。

本物の香水との出会い

 

 香水の中心地であるフランスに足を踏み入れるきっかけとなったのは、田代さんが大学生の時のこと。

 

名古屋大学農学部の学生として家庭教師のアルバイトをしていた先で、生徒の母親が香水をプレゼントしてくれた。美しいボトルデザイン、芳しい香り。当時高価だった本物の香水に触れたことでその魅力にのめり込んで行く。そして香水の収集を続けるうちに、香料について研究をしたいと思い始めた。しかし、田代さんの通っていた大学には、香水に使用される香料の研究をする学科はなかった。そこで教授を説得し、独自に研究を始めたのだ。

 

 「当時、家庭教師のアルバイトで得たお金を全部使って香水を買っていました。大学では香料の研究をしながら、同時に香水のコレクションも始めて、それが調香師としての知識にも繋がって良かったと思っています。お化粧にもファッションにも興味があったので、週末は朝から晩までデパートで過ごしていました。大学では、お化粧バッチリ、ハイヒールも履いて白衣を着て研究していました。そんな大学生、他にいなかったですよ。今話題の理系女子のハシリかもしれないわね」。

 

 家庭教師として教える才能を評価されていた田代さんは、大学卒業後に中学校の理科の先生になることが決まっていた。しかしその矢先、大学での研究が目にとまり、化粧品を手がけようとしていたある企業から「調香師として育てたい」と声をかけられた。香水への思いが捨てきれなかった田代さんは進路を変更。調香師としてスタートを切った。

伝説の調香師、エドモンド・ルドニツカ氏との出会い

 

 入社した企業で、化粧品や香水の開発部署の香り担当に配属された。ある日、東京の大手香料会社で研修を受け、そこで田代さんは香り市場の中心がフランスにあることを知った。

 「なんだ日本じゃないんだって衝撃を受けましたね。だったらフランスに行って、もっと深く学びたいって。お金をためて、語学を勉強して、入社して2年半で香水の都『グラース』に行って現地の香料会社で勉強を始めました」

 

 本場で学ぶ田代さんの耳にある調香師の名前が耳に入る。それがエドモンド・ルドニツカ氏である。

 1905年に南フランスのニースに生まれた彼は、エルメスやクリスチャン・ディオールなど数々の香水を手がけた偉大な調香師だ。彼が創香したクリスチャン・ディオールのすずらんをテーマとする香水「ディオリッシモ」(1956年)や、ディオール初の男性用香水「オー・ソバージュ」(1966年)は今なお人気のある名香である。

 

 「なんとか彼に会いたくて。まだフランスに行って間もない頃でしたから語学もつたなかったんですけど、返事をもらえるまで何通も手紙を書きました。その甲斐あって、やっと連絡が取れて、ルドニツカ氏は『作品を創ったら送ってきなさい、僕が見てあげるよ』と言ってくれて、その後も手紙でのやり取りが続きました」

 自身が創香した作品を一流調香師に送り教えを請う。異国の地でのこの積極性に思わず「すごい行動力ですね」と私が言うと、田代さんはこう答えてくれた。

 

 「私ね、海外の会社は自分で扉を叩けば応えてくれる、自分で扉を押せば誰でもヒーロー、ヒロインになれるってずっと思ってきたんです。でも日本の会社は順番があるからそうはいかない。当時の私は生意気でしたよ。いつも辞表を後ろ手に持って突っ走ってました。常に前を向いてましたから」

 前例のない道を強い意志と行動力を持って切り開いていく。それを「私しかできないこと」と楽しんでいたという。異国の地で田代さんを突き動かしたものは、本物の香りに触れたい、妥協したくないという純粋な思いだったのではないだろうか。

上質な原料を使った本物の香水、「古典香水」にこだわる

 

 田代さんはインタビューの中で、「本物の香り」、「本当の香水」という言葉を繰り返した。「本物」、「本当」と表現する香り。それは天然の植物を由来とする天然香料から作った「古典香水」のことだ。

 そもそも香水を始めとする香り製品の原料には「天然香料」と「合成香料」の2つがある。「天然香料」は、オレンジ、ローズ、ジャスミンなど動植物から採られた香料のこと。一方の「合成香料」は、天然香料中の成分や、天然には存在しないが香料として有効な化合物を化学的に合成したもの。産地や気象状況によって香りやコストが異なる天然香料に比べて品質のばらつきがなく、大量生産で安価で安定した供給ができるのが特徴だ。

 

 しかし、一つ一つの天然香料には数えきれないほどの芳香成分が含まれており、いまだに合成香料で完璧に再現するには至っていない。例えば、10種類の合成香料で作り上げた香水は10種の芳香成分の香りしかない。しかし、合成香料9品と天然香料1品にすると、芳香成分は数十から数百に増え、香水に奥行きや複雑さを与える。最近、アロマセラピーなどに使われる精油として天然香料が市場に出回っており、手軽に手に入る。しかし、バラの精油を1キログラム得るためには、バラの花弁が4トンも必要と言われており、それほど天然香料は貴重な香料なのだ。

 

 「実は、昔の香水は上流階級の方だけが持つことができたもので、ほとんどがオートクチュール社製でした。その香水は天然香料から作られていました。天然ゆえ、生産量が安定せず、香りも毎年異なるなどの不安定さはあります。ただ、とっても華やかで、これこそが18世紀から20世紀のフランス貴族達が愛した本物の香りでした。これが私の言う『古典香水』です」

 少女のようなキラキラとした表情で話す田代さん。しかし、その表情が一変したのはこの後だ。

 

 「でも、古き良き香水の時代は1980年代で終わってしまいました。今の香水は、量産するために、ほとんどが合成香料で作られています。ですから、昔と同じ名前のロングセラーの香水であっても、中身が全く違い、香りは昔と今とでは全く別もの。スターパフューマーと呼ばれる、今30〜40代の著名な調香師たちも天然香料で作った『古典香水』の本物の香りを知らないんです。これは本当に残念なことですよ。合成香料ができたおかげで、新しい香りが増えたり、誰でも購入できるようになったり良い事はありました。でも、昔の香水の世界を失ってしまいました。私は『古典香水』を知る数少ない調香師として、本物の香りの良さを伝えたいんです」

 

 とはいえ、今は2014年。「古典香水」を手に入れるのは非常に難しいはずだ。一体、田代さんはどのようにしてその香りに触れているのだろうか?

 

 「学生の頃に買い集めていた香水を今も大切に保管しています。香水は絵画とは違って消耗品でしょ。使えば無くなってしまうし、香りを確かめるためにムエット(香りを試す専用の紙のこと)に香水を浸すと減ってしまいます。ルーブル美術館に絵画を展示するように永遠に香水を残しておくことはできません。でも、一度嗅いだ香りは記憶として残ります。調香師としてトップを走り続けるには、嗅覚で香りをコピーしておく必要があるんです」

 「そしてもう一つの方法は、アンティークを探すこと。つい先日も、銀座の骨董屋で、有名な『古典香水』を手に入れることができました。これは革命的な話、レボリューションですよ!だって、、100年ほど前に作られた香水なんです。香料会社の教科書にも載っているほどのものなんですよ!その香水を手にして、いろんなことを感じました。『ラベルは全部、手貼りなんだ』、『ボトルはバカラじゃないんだ』って。もちろん開封して香りを嗅ぎました。香りは時を刻んでいますから、その香りを嗅ぐと、当時の貴族の生活を感じることができます。こんな風にいつでも『古典香水』を手に出来る状況でないと、本物の香水の復刻はできません」

 

 田代さんは伝説の調香師エドモンド・ルドニツカ氏の教えを受けた調香技術と類いまれなる嗅覚をもって、古典香水の復刻作品を数々作っている。それが「ハナヨコレクション」だ。ルドニツカ氏お墨付きの香り「NO.1000」は、美しい残り香が印象的な究極のウッディフローラルの香水。また、1970年代に人気を得た、若々しい印象のグリーンフローラル調の香水なども手がけ、古き良き時代の香りを提案し続けている。

    

 そして田代さんはもう一つ大切なことを話してくれた。

 「香りだけでなく、料理も、ジュエリーも、ファッションも、確かな技術を持っているスペシャリストがリードしなければ良いものは生まれないと思います。しかも、良いものを提供するには、企業に属するサラリーマンでは難しいので、私は自分のアトリエ、店を持って香水に合うライフスタイル、本物の香りの良さを伝えています」

和の香りとの付き合い方

 

 田代さんは白檀、沈香、伽羅など香木の香りを再現した香水も手がけている。

「香木を嗅いだだけで香りを作り上げなくてはいけないので、少し大変でした」

 日本では香水の需要は低いが、香りの文化は古くから存在している。「

 「日本書紀」には595年の夏、淡路島に1本の香木が漂着したという記録がある。そして仏教の伝来とともに、香りは仏教儀式に欠かせない品の一つとして発達。平安時代から室町時代になると、お香は仏事から離れ、貴族や宮廷など上流階級の文化や習俗とし洗練されていき、やがて香道が完成した。

 「フランスも日本も、もともと香りは上流階級のものでしたし、香りが心身や空間を清めてくれるという共通の思想がありますから話が合うんですよ。フランス人は日本の香りの文化に関心を持っていますよ」

 香水やアロマセラピーなどの影に隠れている日本の香り文化。しかし、田代さんは日本的な香りの文化価値を、日本人として知っておくべき本物の香りの一つとして見直している。

香りの秘めた力

 

 嗅覚のプロでもある田代さんは、次なる展開を考えているようだ。

 そのきっかけとなったのが、2014年2月放送のテレビ朝日、「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」という番組だ。その中で、認知症と嗅覚の関係性が取り上げられ、認知症を予防すると言われる香りが紹介された。認知症を発症すると最初にダメージを受けるのが、匂いを感じ取る「嗅神経」であるとの研究結果があり、何らかの香りで刺激することで認知症を予防・改善できるのではないかという内容だ。

 ジャンルは違うが、同じ香りを扱う人として田代さんのもとには多くの問い合わせがあったという。

 「あの番組の反響はすごかったですよ。調香師として、認知症と香りについて講座ができないかと、リクエストが本当に多くて。これをきっかけに、60歳以上の方をターゲットにした、香りで脳をトレーニングする講座を開くことにしました。これはロングラン、そしてエンドレスに続けていこうと思っていて、今後は老人ホームで展開していく予定です。嗅覚が上がることは、自身の能力を上げることにも繋がると思っています」

本物の香りは永遠

 

 最後に田代さんにとっての名香を伺った。

 

 「ゲランの『ミツコ』ですね」

 

 即答だった。

 

 「ミツコ」は1919年に名門ブランド「ゲラン」の三代目ジャック・ゲランが生んだ格調高い香水だ。パリでベストセラーを博した小説「ラ・バタイユ」のヒロイン、ミツコからその名をとったもので、この香りを名香に挙げる調香師は多い。

 「『ミツコ』はシプレタイプ(※1)の香水で、オークモス、桃、ジャスミン、バラなどあらゆる高い原料を用いて作られた、とてもバランスが良い香りですよ」

 上質な天然香料と、バランス。それこそが田代さんの言う、本物の香りの条件なのではないか、そう感じた。

 

 本物の香りを追究し、その良さを伝え続ける田代さん。実は、古くなった香水のリフォームも手がけている。

 「ご自宅に眠っている古い香水あるでしょ?それを使えるようにリフォームしています。亡くなったおばあさまがお持ちだったと言って、シャネルのアンティークの香水を持ち込まれる方もいらっしゃるんですよ。香水は古くなっても腐ることはありません。特に、1940年から1970年くらいまでに作られた上質な香水は蘇らせてあげたいって思うんです。香水は一滴の宝石ですから」

 

 香水は消耗品と語った田代さんだが、古き良き香水をリフォームし、もう一度輝きを与えている。それを実現する高い技術力と、香水への深い愛情を持った調香師は国内外問わず果たしてどれだけいるのだろうか?

 

 私たちは、日々生み出される新しいものについ気を取られがちだが、田代さんと話をしていると、その他方にある古き良きものを愛でる気持ちも決して忘れてはいけないと思わされた。どれだけ時代が移り変わっても本物はすたれない。次世代に残せるものがある、そう信じて。

(2014年3月取材 文:岡本英江)

 

取材・協力

調香師の店 MON PARFUM

愛知県名古屋市中区栄3-15-33 栄ガスビル1F

tel:052-252-8700

 

(※1)シプレ:地中海に浮かぶ島、キプロス島を意味するフランス語「シープル」の日本語発音。この島は、中東から運ばれて来る香料の中継地として栄えたことでよく知られている。この島をイメージした香りは、地中海周辺で産出する柑橘類やバラ・ジャスミンなどのフローラル、スパイシーなシソ科のパチュリや木の樹脂など、ウッディな香りをベースに、土のにおいに似たオークモス(樫の木に生える苔)のぬくもりを加えて調合されている。

 

参考文献・資料

「香りの創造」(エドモン・ルドニツカ著/白水社)

「香と日本人」(稲坂良弘著/角川文庫)

「クリスチャン・ディオール」サイト

「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」(テレビ朝日)

 

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